Photo by Sauro Imola
1994年5月1日、イモラサーキットの高速(当時)のタンブレロコーナーから外れ、時速300kmを超えるスピードでコンクリートウォールに激突。ヘリコプターで病院へ搬送されたものの、その夜、帰らぬ人に。
すぐ後ろを走行していたシューマッハのオンボード映像と無残にも粉々になったマシンで原形をとどめるモノコックに収まったままピクリともしない彼の姿を上空から映し出す映像を祈るよう見ていたことは今でも忘れられません。
強烈に印象に残るといえばやはり彼の走り。以下のエントリでは、ホンダが1989年鈴鹿サーキットで開催されたF1日本グランプリの予選で記録したファステスト・ラップをテレメトリーデーターに基づき光と音で再現したプロジェクトを紹介しました。
気がつけばあれから20年。偶然、書店でアイルトン・セナが表紙の別冊宝島を発見。当時の写真やライバル、チームメイトのインタービュー。思わずこみ上げてくるものが・・・
昨年発表した、2015年からのマクラーレンへのエンジン供給と合わせた、マクラーレン・ホンダの黄金時代である1988年から1992年の軌跡も紹介されています。
当時のF1ファン必読です。